北海道・東北・関東・中部では、全部で14のみちを描いている。
日本はもともと山間の占める割合の多い国である。東日本を描いたこれらのみちでは、
山間の集落が多く描かれており、日本の原風景を思わせる。
作品数:61点 週刊朝日掲載年月:79/1-79/7
アイヌ民族が暮らす蝦夷の地に「和人」が進出したのは、鎌倉時代。以降、
北海道開拓の歴史が始まる。
「街道をゆく」では、その開拓の舞台になった各地を巡る。南部には北洋
漁業の拠点・函館、城下町として栄えた松前、ニシン漁で知られた江差な
どがある。中心部には、明治以降開拓の拠点と なった札幌、奈良県十津川
村の水害から逃れた人々が移り住んだ新十津川村などがある。
作品数:20点 週刊朝日掲載年月:72/2-72/9
陸奥(むつ)とは現在の青森・岩手・宮城・福島である。
陸奥のみちには、青森県八戸市から山間部を通って岩手県久慈市に至る久慈街道、
種差海岸を通る浜街道(ミナト街道)などがある。
江戸時代の遊歴家・高山彦九郎も、 この久慈街道を通った。
作品数:34点 週刊朝日掲載年月:86/9-87/4
秋田はかつて山形とともに出羽の国と呼ばれた。奈良時代から平安時代には
秋田城が置かれ、東北経営の拠点であった。南部には、松尾芭蕉が『奥の細道』の
旅で訪れた象潟(きさがた)町、北部には、海岸砂防林として植栽された松が
現在700万本にもなる「風の松原」があることで知られた能代市がある。
作品数:29点 週刊朝日掲載年月:85/1-85/7
仙台・石巻のある宮城はかつて陸奥国宮城郡と呼ばれ、
古代より東北地方の中心地として機能してきた。
多賀城は奈良時代の東北経営の拠点である。
江戸時代には伊達氏が仙台を治めるようになり、
藩主・伊達政宗が仙台城を築いた。
石巻は、伊達政宗が改修させた石巻港を中心に発展した町である。
作品数:19点 週刊朝日掲載年月:76/10-77/4
羽州街道は、山形県・秋田県・青森県をつなぐ道で、
山形県内では最上川沿いに走る街道である。
「街道をゆく」では、山形特産の紅花農家や、山形南部の
米沢市を治めた上杉家ゆかりの旧跡を訪れた。
作品数:34点 週刊朝日掲載年月:88/9-89/3
奥州とは別名陸奥の国、現在の福島県・宮城県・岩手県・青森県をさす。
白河は福島県の南部に位置し、奥州への入り口として古代の関所である
白河関が置かれた。
会津は白河よりさらに北に上がったところである。
作品数:22点 週刊朝日掲載年月:76/1-76/10
「潟」とは、河川が流す土砂のために遠浅になった河口などで、潮が満ちると海と化し、
潮がひくと洲になって現れる場所のことである。
新潟市は、もともと信濃川と阿賀野川という二つの川の
河口に位置する潟であったが、川の活動によって潟は埋まり、野になった。
亀田郷は、信濃川と阿賀野川に囲まれた地域で、
土地改良事業で人工的に乾田化された土地である。
作品数:28点 週刊朝日掲載年月:76/10-77/4
佐渡は新潟の北西に浮かぶ島。
かつて約40ヵ所の金銀山があり、島の西側に位置する相川はその中心の
鉱山町として賑わった。島の南端にある小木港は、金銀の積出港として栄えた。
小木はサザエやアワビ漁をする「たらい舟」でも有名である。
作品数:20点 週刊朝日掲載年月:88/9-89/3
江戸は、1603年に徳川家康が江戸幕府を開いてのち日本の政治の中心となり、
大きな町へと発展してきた。赤坂もまた、江戸時代に大名屋敷の立ち並ぶ
町となった。大岡越前ゆかりの豊川稲荷、
江戸城の鎮守として祀られる日枝神社などがある。
作品数:11点 週刊朝日掲載年月:71/1-71/7
甲州街道は、江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸・日本橋を起点に、
内藤新宿から、八王子、小仏峠、笹子峠を経て甲府 (山梨県)に至る道。
途中、八王子は、相模国や甲斐国にも近く、甲州街道の要衝の地であった。
家康は「八王子千人同心」を組織してここに住まわせ、
小仏峠の防衛などに当たらせた。
作品数:10点 週刊朝日掲載年月:79/7-79/10 82/10-82/12
横浜はかつては小さな漁村だったが、幕末期に日米修好通商条約の
開港地に選ばれて以降、徐々に発展を遂げてきた。開港にあたり、
横浜は元からあった吉田川と、新たに築かれた掘によって境界を区切り、
その区域内を「関内」とした。
関内には、外国人居留区・山下公園・中華街などがある。
作品数:16点 週刊朝日掲載年月:76/1-76/10
信州佐久平(さくだいら)は、現在の長野県佐久市から
南側に広がる平野である。中山道・北国街道・佐久甲州街道など、
いくつもの街道が行き交う地である。
また、平野を縦断して流れる千曲川は、新潟県に入ると信濃川と呼ばれる。
作品数:19点 週刊朝日掲載年月:86/9-87/4
飛騨国は現在の岐阜県北部を指し、対して南部を美濃国と称した。
平野部である美濃に対し、飛騨は険しい山に囲まれた山地であり、
独特の文化を熟成させた。特に木工の名手が多く、彼らは
「飛騨工(ひだのたくみ)」と呼ばれ、都の宮廷や寺社仏閣造りにも活躍した。
作品数:12点 週刊朝日掲載年月:72/10-73/5
郡上街道は、長良川を逆上って岐阜県郡上郡の八幡町に至る道である。
白川街道は、八幡町の北、大野郡白川村へ続く道。
白川村及び隣接する富山県平村、上平村には
「白川郷・五箇山の合掌造りの集落」がある。
須田剋太挿絵原画展TOP | 作家・須田剋太について | 『街道をゆく』について
近畿のみちをゆく | 中国・四国・九州・沖縄のみちをゆく | 北海道・東北・関東・中部のみちをゆく | 海外のみちをゆく
copyright 2009 須田剋太街道をゆく挿絵原画シリーズ all right reserved