須田剋太 挿絵 原画展 「街道をゆく」シリーズ

須田剋太 街道をゆく 挿絵

街道をたどる 須田剋太WEBギャラリー 02中国・四国・九州・沖縄のみちをゆく

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中国・四国・九州・沖縄では、全部で15のみちを描いている。
日本はもともと四方を海で囲まれた島国であるが、この中国・四国・九州・沖縄のみちでは、
関門海峡や鳴門海峡といった海峡や、島原・天草諸島や壱岐・対島、沖縄・先島といった島々、
中津・宇佐といった港町など、海に関わりのある地を多く訪れており、海景が描かれた作品が多い。

 因幡・伯耆のみち(鳥取県)

作品数:32点  週刊朝日掲載年月:85/7-86/2

因幡(いなば)・伯耆(ほうき)とは現在の鳥取県で、因幡が鳥取市のあたり、
伯耆は倉吉、大山、米子にあたる。作品はこちらから
因幡といえば、古事記の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」で知られる
ように、白兎海岸・白兎神社など神話の舞台が数多くある。


 砂鉄のみち(島根県・鳥取県・岡山県)

作品数:26点  週刊朝日掲載年月:73/5-73/7   74/12-75/5

「砂鉄のみち」では、鳥取・島根・岡山の製鉄文化の軌跡を巡る。
中国山地は良質の砂鉄を産するため、古代からタタラ製鉄が行われていた。
タタラ製鉄とは、砂鉄を木炭の火で熱して精錬する方法である。作品はこちらから
中でも出雲・伯耆の鉄は評判が高く、この地域と山陽道を結ぶ
出雲街道や石見街道は「鉄の道」として発達した。


 芸備のみち(広島県)

作品数:26点  週刊朝日掲載年月:79/7-79/10   82/10-82/12

芸備とは、安芸と備後を指し、現在の広島県にあたる。
広島市を起点に北上し、吉田・三次を巡る道。
この一帯は戦国時代、毛利元就の本拠地であった。作品はこちらから
また、三次は諸道がつながる交通の要衝であり、
出雲文化と瀬戸内文化の結節点でもあった。


 長州路(山口県)

作品数:18点  週刊朝日掲載年月:71/1-71/7

長州は、長門と周防(すおう)の二つの国からなり、現在の山口県にあたる。
「街道をゆく」では、下関市・山口市・島根県南西の津和野市を巡る。作品はこちらから
本州の最西端に位置する下関は、関門海峡を挟んで
九州へ繋がる交通の要衝として重んぜられた。


 阿波紀行(徳島県)

作品数:24点  週刊朝日掲載年月:88/4-88/8

阿波は現在の徳島県である。「街道をゆく」では、
渦潮で知られる鳴門海峡を渡って四国に上陸し、
吉野川沿いに走る撫養(むや)街道をたどって、作品はこちらから
伊予と土佐への分岐点である池田へ向かった。
池田から南の山中に踏み入ると、四国山地の秘境・祖谷(いや)渓谷に至る。


 檮原街道(高知県)

作品数:20点  週刊朝日掲載年月:85/7-86/2

高知城がそびえる市街地から西へ向かい、港町・須崎から山間部に入る。
ここから、山を越えて伊予(愛媛県)に至る道が檮原(ゆすはら)街道である。作品はこちらから
幕末の時代に、勤王の志を抱いた土佐藩士たちが、藩主に逆らい脱藩し、
この通をたどっていったことから、後に「勤王の道」と呼ばれた。


 南伊予・西土佐の道(愛媛県)

作品数:36点  週刊朝日掲載年月:78/9-78/12

四国の西岸、伊予と土佐をつなぐ道は、松山から大洲までを大洲街道、
大洲から宇和島までを宇和島街道と呼ぶ。
松山は、正岡子規の出身地であり、夏目漱石「坊っちゃん」の舞台ともなった文学の里である。
大洲は、江戸・明治の町並みを残し、「伊予の小京都」と呼ばれている。作品はこちらから
宇和島は、愛媛南部の中心であり、
西は宇和海に面したリアス式海岸をもつ大きな港町である。


 肥前の諸街道(福岡県・佐賀県・長崎県)

作品数:41点  週刊朝日掲載年月:77/4-77/8

肥前とは現在の佐賀県と長崎県である。
「街道をゆく」では、外来文化が渡来した軌跡を巡る。作品はこちらから
唐津には、鎌倉時代の蒙古襲来の際に防塁が築かれた。
長崎は、鎖国時代に唯一海外に門戸を開き、西洋文化の窓口であった。


 壱岐・対馬の道(長崎県)

作品数:50点  週刊朝日掲載年月:78/2-78/8

九州と朝鮮半島の間にある壱岐と対馬は、古くから
大陸との交易の中継地、軍事上の要地であった。
九州に近い島が壱岐で、韓国よりの細長い島が対馬である。作品はこちらから
それぞれの風土や歴史、島民の気質は異なり、壱岐が
農耕文化であるのに対し、対馬は漁村文化の社会である。


 島原・天草の諸道(長崎県)

作品数:61点  週刊朝日掲載年月:80/4-80/12

島原は長崎県南東部に突出した半島で、天草は 熊本県南西沖に位置する島々である。
フランシスコ・ザビエルが伝えたキリスト教は九州を中心に信徒を増やしたが、作品はこちらから
なかでもこの地に深く信仰が根づいた。
しかし同時に、キリスト教弾圧の歴史も深く刻みこまれた地でもある。


 中津・宇佐のみち(大分県)

作品数:24点  週刊朝日掲載年月:89/4-89/11

中津・宇佐は現在の大分県北部に位置する。
八幡信仰の発祥の地で、宇佐には総本山・宇佐神宮と和間神社、
中津には宇佐神宮の元宮・薦神社がある。中津はまた、作品はこちらから
秀吉の軍師を務めた黒田如水が築いた中津城の城下町として発展した。
慶應義塾を創設した福沢諭吉の出身地でもある。


 豊後・日田街道(大分県)

作品数:20点  週刊朝日掲載年月:75/6-76/1

豊後(ぶんご)は現在の大分県で、その中心が日田である。
幕府の代官所が置かれた日田は周辺の天領を支配した。
そのため、別府、熊本、久留米、中津、山家から年貢米の輸送や作品はこちらから
役人の行き来のために日田に至る道が日田街道と総称された。
豊後街道は、熊本から阿蘇山の北麓を通って別府と結ばれる道である。


 肥薩のみち(熊本県・鹿児島県)

作品数:26点  週刊朝日掲載年月:72/2-72/9

肥薩とは肥後と薩摩のことで、現在の熊本県と鹿児島県にあたる。作品はこちらから
薩摩といえば、西郷隆盛など薩摩藩士が明治維新を推し進めたことで
知られているが、「街道をゆく」でも、西南戦争の戦地である田原坂を訪ねた。


 種子島のみち(鹿児島県)

作品数:16点  週刊朝日掲載年月:75/6-76/1

鹿児島県南の太平洋に浮かぶ種子島は、
ポルトガルから日本へ初めて鉄砲が伝来した地として知られている。作品はこちらから
種子島は砂鉄がとれる島でもあり、進んだ製鉄技術をもっていたため、
この地が国産第一号の鉄砲生産の地ともなった。


 沖縄・先島への道(沖縄県)

作品数:44点  週刊朝日掲載年月:74/6-74/11

沖縄島に統一王朝が成立したのは十五世紀前半のことで、
奄美、宮古、八重山を治めていた。首里を中心に見事な石造文化が形成される。
先島とは、宮古島・八重山諸島のことで、作品はこちらから
珊瑚礁が発達した美しい島々である。
石垣、赤瓦の屋根、白砂の道など沖縄の原風景が今も残る。





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