1907年
大阪に生まれる
1923年(16歳)
松原三五郎が主宰する天彩画塾に入塾
同じ塾生には山本直治(二紀会)、西村鳳山(春陽会)、宇治政次郎(二科会)らがいた
1924年(17歳)
天彩画塾の閉鎖により、赤松洋画塾に入塾
1930年(23歳)
第17回二科展入選
1931年(24歳)
赤松洋画研究所展覧会にて丹平賞受賞
第5回全関西洋画展覧会にて朝日奨励賞受賞
1936年(29歳)
全関西洋画展覧会会員となる
1937年(30歳)
二科会会友となる
1941年(34歳)
二科会を退会
小磯良平、猪熊弦一郎らの誘いで新制作派協会展の会員となる
1944年(37歳)
満州へ出征
1946年(39歳)
シベリアより復員
1948年(41歳)
芦屋市美術協会の創立に参加
創立会員には、吉原治良、井上覚造、藤井二郎らがいた
この頃自宅アトリエにて頻繁に研究会、デッサン会を行う
小磯良平、小松益喜、上村松篁、竹中郁、具体協会メンバーの白髪一雄、村上三郎がいた
1961年(54歳)
鍋井克之の誘いで浪速短期大学、大阪芸術大学の教授になる
1965年(58歳)
黒田重太郎の誘いで京都市立美術大学(現在京都市立芸術大学)西洋画科教授となる
1966年(59歳)
インド旅行
1967年(60歳)
フランス、スペイン、ギリシャ、イタリアをスケッチ旅行
1969年(62歳)
第3回芦屋市民文化賞受賞
1970年(63歳)
京都市立美術大学(現在京都市立芸術大学)を退官
大手前女子短期大学教授となる
1971年(64歳)
紺綬褒章受賞
1972年(65歳)
芦屋市美術協会代表に就任
1973年(66歳)
スペイン(グラナダ)へ旅行
1977年(70歳)
フランス(パリ、ニース)、モナコへスケッチ旅行
1980年(73歳)
南海電鉄難波駅壁画「沿線まつりシリーズ」を製作
1981年(74歳)
大手前女子美術短期大学を退官
1987年(80歳)
南フランス、コルシカ島へ旅行
1990年(83歳)
兵庫県文化賞受賞
1994年(87歳)
死去